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NISSHAのあゆみ
「紙以外への印刷」の分野が拡大し、グローバル市場の存在感が年々増すなど、NISSHAの事業の姿は刻々と変化を遂げています。しかし、今日のNISSHAの発展を支えているのも、創業から変わらない独自技術や品質へのこだわりです。NISSHAの強みがどのように培われたものなのかをこれまでの歩みを通じて、ご紹介します。
| 1929 |
創業者 鈴木直樹 理想を高く掲げて開業鈴木直樹が自宅で印刷所を開業して創業。
理想を高く掲げ、「美術印刷をやろう」と決意し、3年後に「鈴木尚美社」を立ちあげました。入札やせりで売買される古美術品の美術品目録(カタログ)の印刷が大きな仕事でした。 <NISSHAの差別化戦略の原点> |
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| 1946 |
日本写真印刷株式会社 七条工場正門 日本写真印刷株式会社の設立太平洋戦争中の1942年に15社の企業合同によって「日本写真印刷有限会社」と名を変え終戦を迎えました。戦後、京都の代表的な活版印刷業者である似玉堂を吸収合併して今日の「日本写真印刷株式会社」が誕生しました。
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| 1949 |
「言林」「NEW JAPAN」完成 「言林」は戦後初めての新かなづかいによる本格的な国語辞典で、出版社と当社とが一体となって仕上げた一大文化事業として賞賛されました。また戦後の日本を海外に紹介する年鑑PR誌「NEW JAPAN」(毎日新聞社)は品質に最大級の評価を得て、「高級美術印刷の日写」の礎を築きました。
当社のもてる力を結集した「言林」
戦後の美術印刷にエポックを画するものといわれた「NEW JAPAN」 |
| 1967 |
一世を風びした木目箔によるテレビキャビネット 木目転写箱「パトラン」発売 1961年以降軟包装からスタートした紙以外への印刷が花開いたのが、国産で初めての木目箔「ニッシャパトラン」です。テレビを中心にした家電製品の普及とともに、ニッシャパトランは、たちまちにして時代の寵児となるほどの勢いで伸びていきました。後には海外向けエアコンやカラーテレビなどに広く採用されました。
当時、印刷といえばフラットなものに限定されていたなか、曲面印刷という新たな分野を志向したところから転写箔に着目しました。後のIMDを生み出す基となった分野です。 |
| 1970 |
精細な電子部品 電子部品事業への参入 エッチング技術を電子工業分野の先端技術に結び付けて、新分野へ参入。1983年にはOA機器などのキーボードのキートップの転写加工と転写システムの販売を中心に事業部体制でスタートしました。
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| 1983 |
IMD製品 成形同時加飾転写(IMD)システムの開発 IMD(成形同時加飾転写システム)の開発に成功し、紙印刷以外の世界でも“技術のニッシャ”の名を知らしめました。従来の転写箔は、いったん成形されたものに、後から熱と圧力を加えて絵付をおこなうものでしたが、成形時の熱と圧力を利用して成形と同時に転写をおこない、三次元曲面への絵付を可能としました。
以後、高級印刷とIMDの技術は、当社の両輪となって事業の中核を担い、躍進の原動力となりました。 |
| 1990 |
電子手帳向けに供給したタッチパネル ファインタッチの開発 電子事業では大手企業の注目しない独自の分野に対応した技術開発を優先させ、ファインタッチ(アナログ方式の透明スイッチ)を生み出しました。手書き入力式の電子手帳のキーパーツとして搭載され好評を博しました。
後に携帯電話や携帯ゲーム機に採用されて伸張し、現在では当社の主力製品の一つへと成長しています。 |
| 1995 |
初の海外生産拠点の誕生 当社初の海外生産拠点Southern Nissha Sdn. Bhd.(クアラルンプール)が誕生しました。
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| 1999 |
ナイテック工業株式会社の設立 携帯電話向けIMD転写箔生産工場として設立しました。
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| 2000 |
産業資材・電子事業が印刷情報事業の売上を超える 携帯電話向けIMDやタッチ入力ディバイスが伸張し、高級印刷の分野の売上を超えるまでになりました。
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| 2000 |
ナイテック・プレシジョン株式会社の設立 現在は電子事業の主力工場となっています。
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| 2003 |
株式会社三央製作所(現ナイテック・モールド・エンジニアリング株式会社)の子会社化 協力先金型メーカーを子会社化し、グループ内でのIMDの金型製造が可能となりました。
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| 2006 |
タッチウインドウ 加飾付き入力ディバイス 「タッチウインドウ」開発「タッチウインドウ」は、タッチパネルと表面加飾印刷によるデコレーションを融合した独自の入力ディバイス。産業資材事業と電子事業の2事業のシナジーがここに生まれました。
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現在、当社の高品質のものづくりはグローバル市場のお客さまより高い評価を確立しています。これは創業者の志した「だれもやらないことをやる」という差別化戦略を実践してきた成果であるといえます。








